向田邦子はすごかった
仙台演劇鑑賞会の2月例会は文学座の「くにこ‐向田邦子の青春‐」でした。
15日の夜、残念ながら、途中からしかみることができませんでした。
が、グッと引き込まれてしまいました。
向田邦子のシナリオは好きで何冊か、本も持っています。
「あうん」は有名ですが、私は「冬の運動会」が好きです。
大好きな女性が亡くなり、とても悲しいけど、やはりお腹がすく…というシ―ンを名優志村喬が演じました。 忘れられないシ―ンです。
大韓航空事故で不慮の死を遂げ、30年位たちます。生きていれば、もっといろいろ素晴らしい作品を作ったことでしょう。
今日のお芝居をみて、心から残念に思いました。 完成度の高い、いい芝居でした。
仙台演劇鑑賞会も圧倒的に女性の会員が多く、夜のステージが一回だけになりました。 働いている男性が、いいお芝居をもっとみることのできる環境づくりが必要です。
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コメント
そうですね。向田が我々の前から姿を消してから32年。いまも51歳時の写真が我々の前に出て来るので、80歳余のおばあちゃん姿なんてとても想像できない。
「銀座百点」が、シナリオライターとしての向田に随筆家として出発する「場」を与えた雑誌としてよく知られていますが、「赤旗・日曜版」も随筆家としての執筆の機会を与えたことはあまり知られていません。『女の人差し指』(139-155頁)所収「灰皿評論家」など7編が赤旗日曜版掲載の随筆です。お確かめください。
なお、不慮の死を遂げたのは、「大韓航空事故」ではなく、「遠東航空機」(台北から高雄へ移動中)によるものです。
投稿: かっちゃん | 2013年12月15日 (日) 20時13分
向田邦子さんが新聞「赤旗」の愛読者だったってことをつい最近知りました。向田大好きオバサンオジサンもあまり知っていないんじゃないかしら? このことを身の回りに人々に吹聴したいですね。
かっちゃん
<今年(引用者注:2009年)はさまざまな節目の年です。一つが1981年に航空機事故で亡くなった脚本家・向田邦子さんの生誕80年。人柄がしのばれる記事を昔の「赤旗」で見つけました▼(中略)▼さて、連載記事の最終回。“闘士”であった向田さんは、自分が長い「赤旗」読者だと明かします。「自民党のために書いているわけではない」「せめて『赤旗』にはほめていただきたい」。お会いしたかった人です。>
-「しんぶん赤旗」2009年10月6日「潮流」-
投稿: かっちゃん | 2013年12月20日 (金) 07時58分
向田邦子さんが亡くなられて数年後に台湾に行く機会があり、遠東航空に乗りました。日帰りでした。機内で向田邦子さん死去はこの飛行機会社と話している日本人がいましたが、旧正月なので、日本人もたくさんいました。かなり機内が揺れたりしたので怖かったのを覚えています。帰国には‥中華航空を使いました。向田邦子さんの遭われた飛行機事故の被害者の方のために慰霊碑があると聞いております。
投稿: みあさ | 2014年7月23日 (水) 23時26分